「今日は10km走りました☆(パシャ」に違和感
Instagram。
もはや知らない人はいないと言っても過言ではないほど日本で浸透しているSNSだ。俺もアカウントは持っており、山の景色や練習の結果などを投稿していたけど、数年前と比較して熱心に更新することは控えている。
というのもタイトルの通り
「今日のロード練は10km☆(パシャ」
↑キメ顔
や
「今日の練習は5時起きでトレイル30km!」
↑山頂でキメポーズ・道中のトレイルを自分が走っている姿
といった写真に違和感を覚えてきたからだ。
どういうことかと説明すると「練習で10km走りました☆」や「トレイル30km練!」という文字と一緒に投稿されている写真はほぼ確実に「10km走っている“途中”」や「トレイルを30km走っている“途中”」に撮影されたものであり「いや、、30km走ってきましたとか言われても…途中で休憩(撮影)してるじゃん」と感じるようになったからである。
撮影までのステップ(の一例)として
- カメラ(スマホ)をタイマーにセットして
- トレイルに設置して(石とか荷物でスマホが倒れないように固定)
- 来た道を少し戻って
- タイマーで良い感じのところで撮影されるように走る
- スマホをチェックして
- イマイチな映えだったらカメラを再度セットして
- 来た道を少し戻って
- 途中で他のランナーやハイカーが来たらやり過ごして
- 再度カメラをタイマーにセットして
いや、それを練習と呼ぶなよ。
つまり俺の中で練習っていうのは最初から最後まで走りきるのであり、途中で撮影を(しかも満足いくまで)挟むものではない。
「お!この景色をバックに走っている写真を撮ったらめっちゃ映えそうじゃん!撮影撮影~♪」で、何ヵ所も写真を撮っていたら平気で10分や20分はロスする。ふーん、練習とか言いながらめっちゃ休憩するじゃん??
それを「#ファンラン」、「#ファンハイキング」ってハッシュタグを付けて投稿するのなら分かる。
勘違いしないで欲しいのだけど、俺は言葉の定義の話をするつもりや、そういうスタイルを否定するつもりは毛頭ない。山をどう歩くか、走るか、楽しむかは人それぞれだし、映える写真を撮っていいね!をたくさんもらうことに人生をかけている人だっている(そういう人の99.99999%がただの一般人だけど)。
ただ俺は自分が練習と決めた日は、自分を追い込みひたすら前に進むことだけを考える。一歩でも1秒でも早く次の山頂を目指す。トレイルランニングの服装やザックを背負ってその実、自撮りに集中している人たちにレースで負けるつもりはない。ただそれだけの話だ。
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